プロ野球伝説 抑えの切り札である江夏豊氏

強打者

プロ野球の歴史の中でも、過去最高のクローザーであった江夏氏の紹介をしましょう。

江夏豊氏は、プロ野球入団時の所属球団は阪神タイガースで、その後南海、広島、日本ハム、西武と通算5球団を渡り歩きました。

阪神タイガースに所属の時期は主に先発として活躍し、シーズン401奪三振の日本記録、西宮球場で行われたオールスターゲームで9者連続三振の記録を作るなどの活躍をしました。

しかし広島カープ所属時には昭和54年のチーム初の日本一に抑えの切り札として活躍しました。多くのプロ野球ファンの記憶に残っているのが昭和54年の近鉄との日本シリーズ第7戦の9回裏のシーンです。「江夏の21球」というドキュメント番組にもなったほどの名シーンなのですが、このイニング、ノーアウト満塁のピンチを作った江夏豊氏は、見事にこのピンチをしのいで1点差を守り切ったのです。

特に印象的なシーンは、1死後に近鉄サイドが仕掛けたスクイズのサインを見破り、打者石渡をバント空振りに仕留めて、3塁走者を殺してしまったシーンです。江夏豊氏は左ピッチャーのため、三塁走者の動きは投球の際には見えないのですが、打者石渡の僅かな動きを察知し、振りかぶった後にウエスト気味に球を投げてバントをさせなかったのです。
この時点ではベテランの域に達していた彼だから出来た芸当といえます。

ミート